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天龍寺の塔頭で、通常は非公開。寛正2年(1461)、室町幕府の管領であった細川頼之公により、天龍寺の最初の住職である夢窓国師の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建された
。境内の「獅子吼の庭(ししくのにわ)」は、室町時代に中国に渡った策彦周良禅師により作庭されたとされ、嵐山を借景とした枯山水庭園。春は新緑、秋は紅葉がみごと。
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天龍寺の西方にあった「亀山殿」という離宮を営んでいた後醍醐天皇の祖父にあたる亀山天皇(上皇)によって法輪寺橋という橋が「渡月橋」と命名された。渡月橋という由来は、曇りのない夜空に月がさながら橋を渡るようなさまをみて「くまなき月の渡るに似る」と感想を洩らしたことからきている。中秋の名月が渡月橋の美しさをいっそう引き立てます。
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小倉山の中腹にあり、嵯峨野の風景を一望できる常寂光寺。仁王門から本堂までの石畳両横には楓の木が立ち並び、秋には、美しい紅葉のトンネルとなる。豊臣秀吉や小早川秀秋と関係が深く、仁王門は本圀寺の南北朝時代のもの。ここは藤原定家が山荘を営んだあと
ともいわれ文録5年(1596)本こく寺16世日上人が隠棲して寺になったといわれる。定家は「捨遺愚草」の中で「忍ばれんものとはなしに小倉山軒場の松に馴れて久しき」と詠んでいる。
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